Pianissimo
先日地元ホールのアニバーサリー企画のコンサートに出かけました。演奏は広上 淳一指揮京都市交響楽団チェロ宮田大の豪華な顔ぶれで、プログラムはドヴォルザークのチェロコンチェルトとブラームス交響曲第一番のヘヴィーな2曲。
近年京響は常任指揮者にウーヴェ・ムントさんを迎えたのを境に弦楽器パートの成長が著しく、お陰でモーツァルトやベートーヴェンがとても良くなったし、団員の世代交代も徐々に進んで次の課題は管楽器パートの充実だな、なんて考えながら運転しているとあっという間に会場に到着。
やはり近場は早くて楽!
久しぶりに聴く京響がどのような変貌を遂げているのか楽しみにしてたんですが、いざ演奏が始まると「なんと云うことでしょう」あの控えめだった京響に昔日の面影はなく、どのパートも思いっきり良く鳴らしまくるスタイルに変っていました。なにせドヴォルザークにブラームスですもの、昔なら諦めななければならないプログラムを堂々と演ってしまえるんですから。宮田大さんの熱演と広上さんの指揮するコンサートは楽しく成功裏に終了し、大方の聴衆は満足を抱えて家路についたと思います。
さて不足のない音の出るようになった現在の京響の演奏についてですが。
京響の実力の向上は誰の『耳』にも明らかです、この調子で進めば更なる高みへのステップアップが望めるでしょう。豊かな音が出せるようになったことの証でしょうか、その演奏は堂々としていて一抹の不安を抱きながら聴いていたあの頃とは全くの別物です。ただそれが裏目に出たのか p のところでもそこそこの音量で演奏され、出てくる音楽が一本調子になってしまうのが少し気になりました。
この一皮むけたオーケストラの演奏を聴いて強く思ったことがあります、 pp の表現力がもっとあれはより素晴らしいオーケストラになるのにとの思いです。今回の演奏を思い返すと全体に力強くおおらかなのは良いとしても、ディデールの表現に繊細さが感じられずどのパートでも pp らしい pp が聴こえませんでしたから。
演奏者は思いっきり演るほうがカタルシスもあって楽しいのだと思います、そしてこの様なスタイルは指揮者の個性によるところが大きいとは思うのですが。けれど聴き手からすれば美しい p がないと、f との十分なダイナミックレンジを味わうことが叶いません。その結果抑揚が無く音楽が一本調子の彫りの浅いものになってしまい、それこそエクゾースト出来ず悶々とした欲求不満を抱えたままで終わってしまいます。デリケートな pp があるからこそ ff がぐっと来るんですもの。日本の中でもかなり上のレベルにまで到達していると思える今だからこそ、京響には pp の美しいオーケストラになってほしいと願います。
広上さんの企画力や人気が今の京響の飛躍の原動力になっているのは誰の目にも明らかです、それを承知で勝手を云わせてもらうなら、もう一度ムントさんのような劇場上がりの指揮者に鍛えてもらいたい。そうすれば京響は必ずや飛躍的に素晴らしいオーケストラになれるだろうと思うのです。
いろいろと素人の勝手な戯言を書いていますが、いつの日か聴いてみたいんです世界の京響を。
2013/10/28