その先にあるもの

ここしばらく音楽を聴き続ける日々の中で「今なら別にオーディオがなくても十分音楽が楽しめるなー」なんて思いがふと顔を出すことがありました。さては悟ってしまったのか、キキセンを極めたのか。

宗教上では修行を積んだ高僧が悟りをひらき神の領域迄達したりすることもありましょうが、オーディオに限って、ましてや自分がそんな境地にたどり着けるなんて。他の分野でも達人と呼ばれる人達の存在があり、彼らがそこに至る迄のプロセスを考える時、ただ音楽を聴いているだけの自分にはあり得る話じゃないと気付きます。

自身の昨今を振り返ると年齢のせいもあるのでしょうか、音楽の聴き方にだんだんこだわりが取れ、時折ラジオやポータブル CD からながれてくる音楽に入り込んで聴いている自分がいたりします。普段そんな機器の場合 BGM として聞く以外は音色・音質は勿論その出方・佇まい等気になることが多いのですが、こうなった時はオーディオシステムを通している・いないの意識も無くただただ音楽に没頭しています。オーディオ好きにあるまじきその答えを無理矢理にひっぱり出してみると、長年のオーディオライフによって蓄積された音の記憶が蘇り、聴こえていない音まで脳内で補い完璧な演奏として再現してくれているのではないだろうかと。とうとう自分も記憶の中の音楽が聴こえるようになって、もうオーディオシステムを必要としない身になってしまったんだと。

嗚呼ここ迄来てしまえばしかたがない、「最早これまで」残念ながらここでオーディオとオサラバだ。となって一巻の終わりとなるはずがどっこいそこは筋金入りの煩悩の化身、そうは簡単に問屋が卸してくれず「今度はちゃんと聴いてみるか」なんて考えながらさっき聴いたばかりの曲のレコードを取り出している自分がいます。そして極め付きの部屋とオーディオシステムでプレーバックしてみると、そりゃあリアリティーやダイナミックレンジは桁違い、改めてオーディオの存在意義を再確認して「オーディオはえーなー」と振り出しに戻る堂々巡り。

TheViennaPhilharmonicQuartet-Schubert-Quintet

繰り返しになりますが私達がレコードによる良質のプレーバックを求める場合、優れたオーディオシステムが欠かせないのは明白です。でも、でも、やはり頭の片隅に「自分には音楽さえあれば良い、今みたいなオーディオシステムはいらないんじゃないか」なんて声がしていて、もう自分もそんな風にして音楽を聴く時が来てるのかと。

けれどけれどもです、これは決して声には出せません、オーディオショップを営業している身にとっては本当に困ったことになりました、良い音楽は良いオーディオシステムで聴くと尚いっそう良いと、自らがお勧めしたお客様に申し訳が立ちません、いやはやどうしたものやら。

まあしかし物心ついてからかれこれ半世紀以上、音楽とオーディオを近くに置いて暮らしてきたことでこんな気持ちや能力?を身に付けさせてもらったと考えると、人生の余録として喜んで受け取っておくのも悪く無いかなと。そして今後のオーディオライフに対する姿勢を巡って辿り着いた結論は迷走を重ねた末に、何れ訪れるだろう耳の衰えた老後のミュージックライフの心強いツールとして活用するが吉、益々上質の音楽を上質のオーディオシステムで聴き続けることが最上の策だよねとなった次第。

てなことで色々気持ちをこねくり回してみたものの結局何も変わらず、これまで通りオーディオ稼業に勤しむことに納まりました。

似た様なことを感じているオーディオ好きの皆さん「オーディオは楽しです」、耳が達者な間は老後の為にもせいぜいオーディオライフを満喫して過ごしましょう。で、これにて一件落着。

2013/10/04