ゴッホ展 巡りゆく日本の夢

先日京都国立近代美術館で開催されている、ゴッホ展 巡り行く日本の夢 を見て来ました。

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連日の極寒、人も少なかろうと出かけたところビンゴ!、久しぶりの絵画鑑賞をゆっくりと過ごせて、少しリフレッシュ。

展覧会はアムステルダム・ファン・ゴッホ美術館所蔵のものが主体で、クレーミュラー美術館・メトロポリタン美術館等の所蔵品、ゴッホが集めた浮世絵や手紙・資料で構成展示。展覧会は見てのお楽しみなのだから詳しい説明は割愛、ま私に説明なんてはなから無理なんで興味のある方は是非ご来場を。

今回この展覧会での印象、否、違和感の方が近い感覚、それはオルセーや広島美術館で見たゴッホの絵と色の印象が違うのだ。以前見たものに比べてどうも明度だけでなく彩度も低い。画集に載っている写真は押し並べて明る過ぎるけれど。

展覧会のコンセプトからかバックの壁に色がついていることも多少は関係しているのかもだけど、その原因は展示場の照明の色温度が低過ぎること。太陽光の下で描かれた絵を、太陽光からすると随分低い色温度の照明の下で私達は鑑賞させられている。それらは恐らく作品の保護の為の契約条項で、照度や色温度を含めた取り決めがあってそうなってしまったんだろうと勘ぐってるんだけど、そうじゃないならちゃんとした光で見せてよ、今のままじゃ見るものにとって大きなハンデもいいところ。

そこではたと気が付いた、オーディオも同じだ。

レコード原盤のカッティングカーブは現在でもレコードレーベルでまちまちなことが周知されずに放置されている、それに乗じてイコライジングカーブが RIAA 一辺倒で放置されている。つまり描かれた時と異質な光の下で絵を見せられて、本物を見たと勘違いさせられているのとなんら変らない。まあレコードを画集と同じ認識で扱っているのであれば別にどうでもいいんだけど。

私はまっぴらごめんだ。

レコードには本物の音楽が詰まっているんだから、何としてでもカッティング時には有ったその音を聴きたいのだ。途中でそれを変えられちゃ堪らない。絵だって同じ、描かれた場所・鑑賞する場所が違っていても、せめて描かれた時に近い光の下で鑑賞したいもの。

芸術は単なるコピーを見たり聴いたりしてるだけじゃ面白くないし楽しくない。

 

2018/01/27